【interview】LION

2021.05.20

FASHION

【interview】LION HEARTをつくる、つたえる

LION HEARTのなかで、アクセサリーデザインを担当する川瀬さんと、外部からPRとして携わる上田さん。お仕事の内外で、ファッションやアクセサリーを愛するお2人のファッション遍歴から、職業的な目線まで。それぞれのユニークな体験と、LION HEARTのこれからについてお話しいただきました。

LION HEARTのなかで、アクセサリーデザインを担当する川瀬さんと、外部からPRとして携わる上田さん。お仕事の内外で、ファッションやアクセサリーを愛するお2人のファッション遍歴から、職業的な目線まで。それぞれのユニークな体験と、LION HEARTのこれからについてお話しいただきました。

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見た瞬間に「このリング、売りたい」って思ったんです。

——お2人の現職までの経緯を簡単におうかがいできますか。

上田 18歳のときに上京して、ファッションの専門学校でスタイリストについて学び、働きたかったブランドの門を叩きますが、あえなく惨敗。でも、実はその後一緒に仕事をして、今はブランドの人たちとも交友があります。そこ以外に興味がなかったので、次に好きだったバイクを仕事にしました。その後バックパッカーを経て24歳でPR業界に入り、27歳で独立。思い立ったら即行動して今に至る、といった感じです。

川瀬  僕は18歳で、音響の専門学校へ。アルバイトをしていたレストランウェディングのお店で、卒業後もそのままウェディングプランナーとして働いていました。でも元々ファッションが好きだったということもあり、雑貨店に転職。でも、前の会社に戻ってきて欲しいと言われて戻ることに。でもウェディングの仕事はやり尽くしたなっていう感じがあって、数年後レディースの洋服店に転職します。そのとき、同じ商業ビル内にLION HEARTの店舗があって、そこで見たあるリングがきっかけで、LION HEARTに転職することになりました。そのリングを見た瞬間、欲しいなっていうより先に「売りたい」って思ったんですよね。

 

——運命的な出会いですね!そのリングは今も販売しているんですか?

川瀬 残念ながら現在は取り扱っていないんですが、今も持っています。LION HEARTイコールこのリング、と言われていた時期があるくらい、人気のあるものでした。自分にとってエモーショナルなものなので、実は去年出したリングに、オマージュといいますか、デザインに少し要素を入れ込んであるんです。2004年頃に販売されていた「エンブレムリング」は、曲線とエッジ感が特徴で、リングの両サイドにエッジのきいた“くびれ”があります。そのくびれを、2019年にリリースした「TOKYO HYPER REALITY(トーキョーハイパーリアリティ)」コレクションの「Street Sound Samplers(ストリートサウンドサンプラーズ)」シリーズのアイテム、「(サウンドエフェクト)チャンピオンリング」に落とし込みました。あの時代の“象徴的な存在”というところを継承したいという思いから、取り入れました。

▲LION HEARTのラグジュアリーライン「PROGRESSO(プログレッソ)」コレクションの代表的アイテム、通称「エンブレムリング」。

 

——ちなみにお2人は、アクセサリーをどのくらいお持ちなんですか?

上田 僕はめちゃくちゃ失くすので、数自体はそんなにないかな。ライブに行って落としてそれっきり出てこないとか。だから手元にはあんまりありません。失くした数のほうが多いくらいですね(笑)。

川瀬 僕はこのテーブル(畳1畳ほどのサイズ)にギッシリ埋まるくらいはあると思います。

上田 すごい、さすがですね。

 

いかに「人と違うファッションをするか」考えていました。

——ファッションに興味をもったきっかけって覚えていますか?

上田 もともとは親の影響だと思います。小学生のときから「周りよりおしゃれだな」という自覚はありました。自分の意思で選びだしたのは中学生くらいからですかね。初めてアクセサリーを買ったのも、たぶんその頃です。今も広島にある骨董屋さんなんですが、ピアスとかも扱っている、だいぶパンチのある店です。みんなそこで買うのがステータスって感じだったんですよね。最初はスタッズ系のアイテムを買ったと思います。広島って、パンクスの聖地なんですよ、バンド文化も盛んで。そういう不良文化が根付いていて、僕もパンクスに憧れていました。

川瀬 僕も本格的な興味は中学生の頃からですね。当時はバッシュが流行っていたんですが、こないだ当時のスニーカーが再販されて、買っちゃいました。スニーカーは今でも好きですね。初めてちゃんとしたアクセサリーを買ったのは、高1くらいの時かな。渋谷のセンター街で、飾り気のない、シンプルな喜平(注1)チェーンのブレスレット。小学生の頃からスケボーをやっていたので、当時はそんなカテゴリーなかったですけど、今でいうスケーターファッションみたいな格好に合わせてたので、なんか今っぽいスタイルだったかもしれませんね。

 

——LION HEARTが誕生した25年前、上田さんは13歳、川瀬さんは18歳でした。その当時はどう過ごされていましたか?

上田 今振り返ってみると、中高生の頃が一番服にお金を使っていた時期かもしれない。高1のときは、毎週ファッションを好きな子同士で繁華街に集まっていました。モード系も裏原系もいたし、ジャンルにかかわらず、とにかくファッション好きな子で集まってるって感じで。それぞれ愛称があったりして、街を歩いていると知らない子から頻繁に「それどこで買ったんですか」って声をかけられたりして。僕たちだけじゃなくて、先輩にもキーマンがいて、大学生と一緒にキャンパスでファッションショーをやったりしましたね。あとは、その頃から東京の出版社とやりとりがあって、広島でスナップ撮影するときは、友だちを集めてみんなで撮ってもらったりしてました。当時は人と違うことがかっこいい、おしゃれして目立ちたいって思ってたんですよね。その頃にスタイリストという職業を知って、上京を決めました。ファッションで生きていこうって。

川瀬 僕は引き続きスケーターファッションをしたり、伊勢丹でもよく買い物をしてましたね。その頃はチーマーとかギャルの全盛期で、幼なじみとつるんでたときに、『egg』のストリートスナップに出たこともありました。高校のときの同級生に、めちゃくちゃファッション誌を読んでいるやつがいて、埼玉に住んでるのに、俺より原宿に詳しくて。一緒にお店に行ったり、いろいろと教えてもらうことが多かったですね。

上田 あの頃が一番、ファッションが楽しんでいたかもしれないですね。いろいろ雑誌を読んだりして勉強もしてたし、今にも繋がる貴重な時期だったような気がします。

川瀬 ファッションもカルチャーも、どんどん新しいものが生まれていたし、みんないかに「人と違うファッションをするか」ってことに、アツくなってた時代かなって思いますね。

 

ファッショントレンドの変化

——近年のファッションのトレンドや傾向は、当時とどのように変化してると思いますか?

上田 一概には言えないですが、年代によって好みが分かれているというより、「ジャンル」になったのかなって思います。20代も40代も同じファッションが好きなこともあるというか。あとは、ファッションアイコンが特定の人だけでなく、アーティストやタレントへも広がったように思います。憧れの対象が増えたというか。

 

——アクセサリーのトレンドとファッションのトレンド、それぞれの関係性についてどう思いますか?

上田 シルバーアクセサリーって実は、時代感がすごく出るアイテムなのかなと思います。数年前にネイティブ系が流行って、トラディショナルなものから、スタイルにとらわれないものまでたくさん出てきて、ジャラジャラつけるのがカッコよかった。今はビッグシルエットになって、ストリートとミニマルなスタイルになって。アクセも癖の強いものから、シンプルで主張しないけど、ブランドの存在感がわかりやすいものが人気の印象です。全くつけなくてもいい気分のときと、絶対必要だと思う気分のときとが、はっきりしてるアイテムな気がします。

川瀬 アクセサリーの表現って、実は洋服ほど自由度が高くないんですよね。あとは最近若い人たちの間で、アクセサリーの「つけ方がわからない」から「なくてもいい」と思っている人も多い印象です。女性はファッション誌に洋服とセットで掲載されていたり、アパレルブランドでも取り扱っていたりするから、わりと身近だと思うんですけど、男性は、最近ほんとにつけてないなと思っていて。だから、ECサイトをメディア化していくなかで、スタッフのコーディネイトを載せたりとか、楽しむための後押しになるようなことを意識的にやったりしています。個人的には、もっとカジュアルに楽しんでもらえたらいいなと思ってるんです。好きなものを好きなようにつけたらいいと思いますよ。つけたときに、気分の上がる感じが、本来のアクセサリーの楽しみ方なんじゃないかなって思います。

 

PR目線で見た、LION HEARTの強み

——上田さんはLION HEARTについてどういう印象をお持ちですか?

上田  僕たちがファッションに興味を持ち始めた頃って、ちょうどシルバージュエリーブームでもあって、市場の中心はインポートだった。でもLION HEARTはそのときからすでに国産のジュエリーとして人気でしたよね。すごく勢いがあったように思います。時を経て、今では当時のコアなユーザーに加えて、アクセサリーのエントリーのしやすいさもあるなと感じます。取り扱っている素材も多様なので、年齢とともにステップアップしていくこともできますよね。そうした意味でも、幅広い層に支持されているブランドだと思います。

 

——では、LION HEARTの“強み”とはなんだとお思いですか?

上田  他とは違う独特な匂いをもっていますよね。川瀬さんから滲み出てくるクリエイションと、トレンド感もありつつオリジナルのキャラクターを上手に打ち出せているなと。デイリーに使える価格帯も多いので、ほんといろんな角度から楽しめるなと思います。

 

実際に街を歩く人を見てデザインする

 

——川瀬さんはアクセサリーをデザインされるとき、コレクションごとにしっかりペルソナを立てるんでしょうか?

川瀬 具体的な個人をイメージするというよりは、もう少し広くイメージしています。たとえば今年出した「for Gift」コレクションの「Cheerful Holiday」シリーズは、休日に表参道を散歩していたときに実際に感じたことがきっかけになっています。僕はふだんゴツめのリングをつけていますが、その日はなんとなく、そのことに圧迫感みたいなものを感じたんです。休日の昼下がりに、表参道とか青山を歩いている人は、どんなライフスタイルだろうなって、実際に歩いてみながら想像して。もちろん、そういう想定の人ばかりが買うわけではないんですけど、意外と暗いトーンの服を着ている人が多いから、シルバーにブラックの艶感があるようなアクセサリーが映えるんじゃないかなと考えてデザインしましたね。

 

ブランドの“エンジン”として、どんな場面でもポジティブにチャレンジしたい。

 

——去年から今年にかけて、世界的にもネガティブなニュースが多かった印象ですが、逆によかったと感じることはありますか?

上田  よくも悪くも、いろんなことが明確になったところじゃないですか。売れるものと売れないものとがはっきりしてきた。なんとなくみんなが目を背けてた部分がはっきりしたから、売り方を改革していかないといけない。ITも流通ももっと伸びていくだろうし、この年末くらいから、ファッション業界もさらに大きく変わっていくんじゃないでしょうか。

 

川瀬  LION HEARTとしては、コロナ前からECサイトの改修をしてきたこともあり、去年は増収増益で終えることができたので、ブランド自体はポジティブなまま、2021年に突入できました。こういう状態なので、実店舗が厳しかったり、どうしてもネガティブな要素もあるんですけど、そういうところはしっかり受け止めながら、この25周年を乗り切っていきたいなと思っています。

特に商品企画って、ブランドのエンジンであって、自分が止まったらブランドが止まってしまうと考えると、ネガティブに捉えていられないんです。やることもやりたいこともいくらでもあるので、ほんとうに時間が足りない。僕個人としては、商品企画はもちろん、写真撮影もそうですし、トータルの表現をしていきたいと思っています。自分の元々の性格もありますが、いろいろなことに対してポジティブにチャレンジしてきたいんですよね。実店舗に関しても、今の時代だからこそやれることを、あらためて考えてみたいな思っています。今年は25周年でいろいろやる予定になっているんですけど、それをどれだけ盛り上げていくか、そして自分たちもいかに楽しむかって考えているので、ぜひ注目してもらえたら嬉しいです。

  • 喜平(きへい):鎖の環をつないで90度ひねり、押しつぶした状態のチェーン。カーブチェーンとも呼ばれ、ネックレスやアンクレットにも用いられている。

INTERVIEW

ライターの名前が入ります

上田大輔 / Daisuke Ueda

1982年、広島県生まれ
PR会社DOVE WORKS.代表

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